濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百四十九回
「妄想乙女倶楽部」は凄いぞ!
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ヒャーッ、おもしろかった!
妄想乙女倶楽部「イシスの裏庭」第一号、読了。おもしろかったァ!
掲載してある小説、詩、読物、評論、川柳など、みんなおもしろかったのだけれど、とくに「やさぐれM night」(立森あずみ)という小説がおもしろかった!
おもしろかったというのは、この小説の登場人物たちの行動を、自分つまり濡木痴夢男つまり私が日頃やってることと、つい比較して読んでしまい、それゆえいっそうおもしろかった。
いや、比較して、なんていっては申しわけない。比較なんてとてもできない。作中の畝亮三という男性は途方もなくかっこいいのだ。私つまり濡木痴夢男は、まったくかっこわるいのだ。第一、私は後期高齢者というおいぼれである。
一八三センチ、格闘家みたいな筋肉で、日に焼けたワイルドな面構えのこの主人公のたくましい行動力と、弱々しくいじけた私の行動との差異を、改めて認識して、似たようなことをやっていながら、私のほうのあまりにも微力で、ひ弱な「プレイ」に、思わず恥じ入ってしまった次第です。
こんなふうにいうと作者の立森あずみさんは、
「あれはあくまでも小説の中の人物ですよ、私の理想とする男性ですよ」
と、お笑いになるかもしれない。
でも、とてもフィクションの中の人間とは思えないくらいに、リアルに、上手に描けていましたよ。
すてきな男性オーラをまき散らすそのカメラマンの畝亮三(ウネビリョウゾウ)さんが、ふいにタイの少女たちのところへ飛んで行って、消えた猫を探がす話とか、新宿のディープな裏通りにあるバーのママの描写とか、ほんとに上手に楽しく描けていました。
だからこそ、文中の私つまり川島渚子(ナギコ)の心理が、まるで立森あずみさんご自身のように生き生きと、読者の心にせまってくるのです。
なるほど、そうかァ、Mの女性って、男に何かされているとき、こんなふうに考えるのかァ、ウーム、ムムム……と私、思いました。
読者にそう思わせたら、もうこの作品は成功です。
私なんかは、落花さんと密室に入って、何かしているときでも、落花さんの気持ちが、なんにもわからないのです。
だって、落花さんという人は、何も言わないのです。渚子さんみたいに、
「や、ちょっと、何をするんですか、はなして! いや!」
「イヤー! ヤメテーェ! はなしてえー!」
「ダメ……あ、もう……許して」
「やめて! ダメ、ヘンになる〜!」
「そんな、ド変態ド真ん中なのはイヤ! 縛りで鞭で浣腸なんて、オーソドックスすぎる!」
などという悩ましいセリフを、一度も口にしたことがないのです。
もう五年以上のつきあいになり、ラブホへ行った数もおそらく百回を超えるというのに「イヤ!」とか「ヤメテ!」なんて、一度も言ったことがない。
二人きりになって、私が縛る気配を示すと、敏感に察知して自分から両腕を背中へまわし、高々と手首をかさねます。
「イヤ」だとか「ヤメテ」だとか、そういうウソを一切言わない人なのです。
(イヤだとか、ヤメテとかいうのは、やはり一種の媚態であり、挑発でしょう。落花さんはそういう媚態とか挑発みたいなことをしない正直な人です。その正直で純粋なところが、私には非常に好ましい)
小心者で気の弱い私は、「ヤメテ!」なんて言われたら、ほんとにすぐにやめてしまいます。
ですから私は、個人的には(シゴトの場合はまったくべつです)畝さんみたいな「豪華」な「プレイ」は一度もしたことがありません。
正直にいうと、そういう場所とか、道具とか、腕力を必要とする「プレイ」を、私はあまり望まないのです。なにしろ現実において非力な男です。畝さんみたいに太い腕、広い胸、エネルギッシュな体力を全く持っていません。
畝さんは凄い(そして同時に渚子さんも当然凄いけど)。
あっという間に渚子さんは裸にされ逆さに吊られる。しかも大V字開脚。
そして渚子さんのアヌスにシリコン製のプラグを差し込み、そこにジョウゴをセットすると、ペットボトルの水を一リットル、一気にそそぎこむ。さらに前の割れ目に指を二本さしこみ、こねるように出し入れする。
その上からプラグ付き貞操帯という道具を、指でもみほぐされた前と後ろにさしこむ。さらに乗馬鞭で、大きくひろげた渚子の内腿、その裏側、お尻や背中、足の裏まで全身を打ちすえる。
時間経過のことはリアルに書かれてないけど、かなりの手間と時間がかかる壮大な「プレイ」であります。
ようやく大V字開脚の逆さ吊りから降ろし、プラグ付き貞操帯のままの渚子さんの体をバスルームへ運び込む。プラグをぬくと、渚子さんの体内から、勢いよく噴水が上がる。一リットル。
その特大の開放感は、渚子さんの身も心もトロトロに溶かすほど。
そして、つぎの描写は、
「……軽くなった体内に力強い砲身が入ってくると、もう声を抑えられなかった。
からだごと大きく搖さぶられて高い場所から降りられなくなる。」
となるのだが、この「砲身」というのは、畝さんの性器なのでしょう。つまり、男性器でしょう。
畝さんにしてみれば、裸にした渚子さんを逆さに吊り上げて、アヌスから一リットルの水をそそぎ入れ、乗馬鞭で全身くまなく足の裏までたたいて、吊りから下ろす。
バスルームへ運び込んで、体内に入れた水を排出させて、それから「砲身」を渚子さんの体(たぶん性器の中でしょう)に力強く挿入するという、休みなしの重労働。
(いや、私には想像するだけで重労働だが、作中のスーパーマン畝さんには、軽くやってのけるプレイなのかもしれない)
とにかく、畝さんは凄い。とてもかなわない。
どんなに凄くても、これは小説であり、妄想の中の一場面だとすれば納得できます。
妄想小説は、常識を超えて、奇想天外であればあるほどおもしろい。
(私も過去に「裏窓」や「SMセレクト」などにずいぶん数多くの小説を書きましたが、ほとんどが、というより全部が、自分の願望を秘めた妄想物語です)
ですが、この立森あずみさんの小説の場合、前半がリアリティをもってよく描けているので、後半のクライマックスにも、もうすこし細部に現実感が欲しいと思いました。そのほうが、作者が女性であるだけに、読者としてはコーフン度が高いのです。
(いや、待てよ。奇想天外のほうが、私以外の読者にはおもしろいのかもしれない。細部にリアリズムを感じてコーフンするのは、私だけかおしれない。となると、ここのところはめったに断言できない。どんなに突っ拍子もない超現実的な設定でもプレイでも、そこに願望があるからこそ、妄想するわけですからね)
それともうひとつ、こういう豪華絢爛、ぜいたくきわまるプレイのあとでも、渚子さんは(あるいは立森あずみさんは)最後にはやはり「砲身」を入れてもらいたいのでしょうか。
ここのところ、男にとっては、たいへん重要なのですが、ぜひ、おしえてください。
もし「砲身」を挿入してもらわない場合は、やはり不満が残るのでしょうか。男としては、知りたいところです。
わかりやすく、ここのところを、ためしに私が書いてみます。
「……畝さんは、私の両足を大きく左右にひろげ、砲身を挿入しようとして力をこめた。もういいわ、それはやめて、私、もう満足、これ以上のものはもう、何もいらないわ、と私は言った。彼の熱い砲身から腰を引いて逃げながら私は呻いた。これが私の本心だった」
と、こうなるのか、あるいは、
「ああ、うれしわ、もっと、もっと深く、激しく入れて! ああ、ああ、ごちそうをたくさんいただいた上に、最後にこんな大きなごちそうをいただけるなんて、私しあわせだわ、ああ、畝さん、私しあわせだわ!」
と、こうなるのか、どっちなのでしょう。
あるいは、
「いやだけど、仕方がないわ、と渚子は思った。私はもうすっかり満足しているんだけど、男って最後にはやはり射精しないと気がすまない動物らしいから、いやだけど受け入れてあげよう。さあ、さっさと終わらせなさい……そう思いながら渚子は畝の背中に両手をまわして抱いた」
となるのか。
三者択一。人によって異なるのはもちろんですが、渚子さんの本心はどこにあるのでしょう。男にとっては、いや、私にとっては、これはとっても大切なことなんです。
よけいなことをあとから書き加え、失礼しました。お気にさわったら、おゆるしください。
なにはともあれ「やさぐれM night」、読みごたえのある力作でした。
かつてSM雑誌が全盛を誇ったころでも、これほど熱気のこもった作品はなかったでしょう。
妄想乙女倶楽部「イシスの裏庭」第二号の発行が待ち遠しいです。
(つづく)
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