2010.12.15
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十回

 佐伯香也子さんへの返事


 佐伯香也子さん、ごていねいなお手紙、ありがとうございました。この数週間、私が参加しなければならないイベントがつづけざまにあって、それに時間をとられているうちに、いただいたお手紙のご返事がすっかりおくれてしまいました。ごめんなさい。まったく貧乏ひまなしというやつです。
 艶やかな厚手の封筒に入り、さらに艶やかな色彩にふちどられた上質の便箋に、一字一字ていねいに書かれたペン字、しかもそのきれいな封書を、自転車に乗った郵便配達の人が、三階までの階段をとことこ上がって、私の部屋のドアまで、手で持って届けてくれるという、いまどきぜいたくな、心のこもったあなたからのお手紙でした。
 一画一画を正確に、誠実に書かれた楷書の文字は、お人柄そのままペン字に表われているように感じられ、楽しく拝読させていただきました。
 お手紙の最初は、私の台本、演出、そして出演による映像作品「人質」へのご感想、うれしく拝読しました。

「……薄暗さの中に、埃くささや体温までが閉じ込められているようで、ひどく緊密な淫靡さを感じました。
 本誌で先生が書いておられたように、通俗的な照明を排した、他にはない映像だったと思います。
 そして、最後のローソクシーン。
 幾何学的な縄目に挟まれた炎のゆらめきが美しくて、見とれてしまいました。
 先生の江戸弁も素敵!
 ちょっと古今亭志ん生を思い出しました。……」

(濡木注・「本誌」というのは「マニア倶楽部」のことで、私はこの雑誌に、私が書いた演出用の台本を掲載していただいた。その中に私は、必要以上に、撮影現場における注意を、しつこく、こまごまと、ねちねちと書き記したのだ。そしてそれを、撮影数日前から、制作責任者、カメラマン、出演者に読んでもらったのだ)

 香也子さんは「緊密な淫靡さ」と「人質」の映像を評してくださいましたが、私が狙ったのは、まさにそこで、現在多く見られるその種の映像からは、「薄暗い淫靡なにおい」が全くといっていいほど消滅しています。
「SM」と名付けていても、結局は肉体を責められる女性の下腹部ばかりを苦労して表現し、観る者に媚びています。
 拷問残酷我慢大会的映像をつくることのみに神経を集中させているので、そのために人間の内部に秘められた「淫靡」な官能の魅力がうすれてしまっています。
 SMエロティシズムの妖しい甘美な蜜は、「淫靡」な暗い闇の中にひっそりとたたえられているのに、その闇に目をむけようとしない(というより闇の底にひそむ美味というものを、もともと理解していない)。
 拷問我慢大会的映像からは、女性の肉体の忍耐力の凄さはよくわかりますが、かんじんのエロティシズムは吹っ飛んでしまっています。
 女性器の中に太い男根型バイブを二本も三本もねじこんでいるところをアップで見せつけられても、
「凄いなあ、よくがんばるもんだなあ!」
 と、体育会的忍耐力に感心するだけです。
 逆さ吊りにされた両足をVの字型にひろげた女体の肛門に浣腸器を突き刺し、液体を注入している映像を見ても、そのアクロバット的な形にびっくりしても、それほどの色気をべつに感じたりはしない。
 そんな格好をしている女性の内面、つまり心理が描かれていなければ、魂のない人形が宙に浮いているのを眺めているのと同じです。
 と、ご返事を書いているうちに、「人質」の続編をつくりたくなってきました。
 制作(つまり撮影前からの準備万端、撮影中、終了までの一切の仕事)は前作同様、山之内幸・中原るつ両氏。
 出演者は「続・人質」ですから、これも前作同様、沢戸冬木・霞紫苑の両嬢。
 カメラマンも、もちろん同じ。要するに、全員濡木組のスタッフです。
 じつは先日、SMとは全く無関係の或るイベントの席で、山之内幸、中原るつ氏と会ってたまたま「人質」のときの話になり。いつものように楽しく盛り上がって、つい私、調子にのって、
「人質の続き、撮ろうか」
「撮りましょうよ。この前の撮影が終わったとき、すぐまた撮ろうと言ってたじゃないの、先生」
「第一、あの映像は、最後に"つづく"の文字で終わっているのよ」
「ああ、そうだったよなあ、よし、撮ろう」
 ということになりました。
 でも私いま、河出書房新社からの依頼で、全五冊に及ぶ「美濃村晃物語」(仮称)を執筆中なので、はたして「人質」第二部を撮影する時間的余裕があるかどうか。
(しかもこの「美濃村晃物語」中原るつ氏と共同執筆なのであります)
 でも、山之内、中原両美女にもう一度せまられたら、私、執筆はあと回しにして、撮影のほうを先にやってしまうだろうなあ。
(私も好きだからなあ)
 そうだ、こんど撮影をするときには、香也子さんもスタッフとして、現場に参加してください。そして現場で「淫靡」なアイデアをどしどし出してください。
 ややッ、話がいつのまにか、また横道にそれてしまった。いくつになっても私は落ちつきがない。
 佐伯香也子さん、あなたのお手紙の中の、

「……先生の江戸弁も素敵!
 ちょっと古今亭志ん生を思い出しました」

 というところ、うれしかったですよ。
 じつは私、前にもそういわれたことがあったのです。毎日高座に出ているプロの芸人さんに言われたのです。うれしかった。
 ええ、志ん生、もちろん好きです。私、子供のころから、志ん生の高座に親しんでいます。新宿の末広亭で、志ん生が酔って出てきて、ムニャムニャしゃべって、そのまま眠ってしまったときも、私、客席にいました。
(そのころ私は、SMセレクト、SMコレクター、SMファンの緊縛写真撮影現場に毎日雇われて働いていました)
 私という人間は、人に自慢できるものは何一つないのですが、江戸弁での語りだけは得意なんです。
 濡木痴夢男ではない私がやるイベントというのは、じつは、江戸弁を使う話芸なんです。いろいろやります。
 このことは、山之内幸さん、中原るつさん、それから早乙女宏美さんも、むかしからの仲間は、みなさん知っています。
 こんどそういう会をやるときには、香也子さんにもこっそり案内状を渡します。ただし、これは絶対内緒です。私が話芸をやるときの名前と、濡木痴夢男の仕事が混同されると、いろいろ不愉快なことが生じるのです。
 話芸をやっている知り合いに、濡木痴夢男とそういう芸人と同一人物だということを知っている人間がいて、いろいろとあちこちに吹聴されて、ずいぶんとイヤな思いをしました。
(このことはだいぶ前にこの「おしゃべり芝居」でも書いた記憶があります)

 あ、また話が横道にそれてしまった。
 今回はとりあえず、ご返事がおくれたおわびだけにして、ここまでにしておきます。
 本来ならば、まず最初に、あなたから頂戴した、妄想乙女倶楽部「イシスの裏庭」のお礼を申し上げなければいけないのでした。
 風俗資料館々長のお手を経て、たしかに頂戴いたしました。
 おめでとうございます。充実した内容の、立派な雑誌ができましたね。およろこび申し上げます。
 この「おしゃべり芝居」の前回に、拝読して興奮して、いきなり内容についての感想を書いてしまったので、お礼を言うべき時を失し、なにやら前後がごちゃごちゃになってしまいました。非礼をおゆるしください。「イシスの裏庭」についてはまた書かせて頂きます。

つづく

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