2007.11.03
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第十七回

 ひどい写真を見て、それから……


 ひどい写真である。
 カメラマンもモデルも、何も主張していない写真である。何も表現されていない写真である。主張がないから、表現も感じられないのだ。
 さっきからみつめているのだが、心に訴えてくるものが、何もない。
 私の感性が衰えているのか。いやいや、まだ衰えていないつもりだ。
 この種の写真を見て反応する能力は、年はとってもまだ衰えていないつもりだ。衰えるどころか、年をとってからますます冴え、鋭敏になっているのを自覚する。雑念が消えて、反応する感覚が純粋になっているような気がする。
 写真を見ながら、私は心のなかで涙をながした。滂沱と涙をながした。
 写真よ、お前はこれほどまでに堕落してしまったのか。
 堕落は、このモデルの罪ではない。この女には、ひとかけらの罪もない。
 この女は、私も知っている。私の縄で縛っている。「縄」に対して、おそろしいほど鋭敏な神経をもつ女なのだ。形だけの、みせかけの反応をみせる女ではない。縄を受けると同時に、生き生きとした豊かな艶と表現力を発揮して、周囲の人間たちを魅了する女なのだ。
 それがどうだ。この写真では、マグロではないか。死んだ魚も同然の姿ではないか。こんな魚河岸に並べられたマグロのような無気力な格好で、ぶざまに横たわっている女ではないのだ。
 ひどい。あまりにもひどすぎる。
 この無感動な姿は、どこからくるのか。私の縄ではあんなにもなまなましいエロティシズムに輝き、縛られた女の妖しい被虐美をまきちらしていた肉体が、なぜこんなにも魂を失った、冷たいむくろと化してしまったのか。こんなにもみじめな姿にしてしまったのは、だれなのか。だれの責任なのか。
 怒りをとおりこして、私の心には再びかなしみがこみあげ、滂沱とくやし涙をながす。
 この女は、自分の肉体に、なんの意志もなく、ただぐるぐると無気力に巻きついている黒い木綿の縄、そして細目の荒縄の存在に絶望している。
 この縄は、彼女にとって、時に“神”にひとしい存在なのだ。“快楽の神”――。
 縄によって彼女の精神は昇華し、肉体は鱗光のような輝きを放つ。縄によって彼女の表情は無限の歓喜の色に包まれ、それが見る者に感動と興奮を与え、安らぎを与える。
 それがどうだ。今女にまとわりついている縄は、女の肉体と魂の生気を、弛緩しきった醜悪な黒さで、無残に踏みにじっている。
 女の美貌は、死んだ者になっている。いや、死の美しさが、あればいい。死の影すら無い。
 あの黒々とした底光りする宝石にも似た瞳は、いまは何物も見ていない。ガラス玉だ。見ているものは、失望だけだ。底の深い絶望だけだ。
 絶望している肉体。この絶望の姿に、美も感動もない。
 こんな写真に、なんの意味があるというのだ。なんの価値があるというのだ。なにが彼女に、こんな深い絶望感を与えてしまったのか。
 私は“縄”に対する彼女の肉体と精神の反応を知っている。なぜなら、私もまた数日前に、彼女を縛っているからだ。
 彼女の失望を思うと、私の心のなかに、またもや滂沱と涙がながれる。
 こんなにもうす汚く、醜く、無気力に、この女の体に縄を巻きつけたのは、だれか。私はその人間を憎む。激しく憎む。
 心のない者は、女を縛る縄を持つな!
 私の崇敬する美神への、なんという裏切り行為。
 そしてこの無気力な縄をまとわされた哀れな(ああ、“哀れ”と形容することさえうとましい)女体にカメラを向け、なんの感情もなくシャッターを押した人間をも、憎む。軽蔑する。激しく、心の底から軽蔑する。こんななさけない縄をまとった女体を撮って、なにがおもしろいのか!
 縄によって女体が、女体の持つエロティシズムに、みずみずしい魅力を加えて光り輝くときは、人間の意志を超えた美神に祝福された一瞬なのである。
 だから、カメラマンは、その一瞬をとらえねばならないのだ。それが、カメラマンとしての、使命ではないのか。
 冷たいマグロのようになんの意志もなく、ただ横たわっているだけの女体を撮って、何がおもしろいのだ。どこに感動があるのだ。
 女は、美貌である。美しい瞳を持っている。だが、この写真のなかの瞳には、縄による陶酔の色は、ひとすじもない。私の股間を勃起させるエロティシズムは、小指の先ほどもない。
 写真を見る者は、そのひとすじの陶酔の瞳の色に感動するのだ。性欲を湧きたたせるのだ。女の瞳に生じる陶酔の色は、エロティシズムの色である。
 いや、瞳だけではない、縛られた女が無意識のうちにくねらせる肩の動き、ウエストのかすかなよじれ、尻から太腿へ、さらに膝から下へと流れる妖しい色気。
 足の指一本一本に現れるこまかい表情。それらが一体となって凝結し、発散する濃厚な被虐美。
 その被虐美を自分自身の肉体で作りだしながら、快楽のなかに耽溺し、のめりこんでいく女。のめりこみ、さらに耽溺し、失神寸前までいくときに、ますます充実して発散される被虐のエロティシズム。
 それがどうだ、この写真からは、縛られた女の美もエロティシズムも感じられない。せっかくの美貌が、無残に死んでいる。死んでいる美貌には、魂が感じられない。
 人一倍縄の快楽の敏感で、縛ればすぐに陶酔し、失神寸前までいく女をモデルにして、この写真は、あまりにもひどくはないか。
 ああ、われながら、しつこい。
 だが、ゆるしてもらいたい。マニアなのだ。しつこいから、マニアなのだ。いくら年をとっても、マニアはしつこいのだ。
 なんといううすっぺらな写真。
 この写真には、女体が表現されていない。写されているのは、形骸だけだ。人間が描かれていない。
 被虐快楽の世界にいる女の“心”が描かれていない。そもそも“縄”に力がないのだから、女に心が伝わらず、それをただシャッターを押しているだけの写真に、迫力が感じられないのも、当然かもしれない。
 くりかえす。こんな写真を見て、だれが感動するだろうか。こんなうすっぺらな写真を見て、だれが満足するだろうか。
 高いお金を出して求めた甲斐があったと、だれが思うだろうか。
 何も表現されていない、こんな無気力な写真をみて、だれが欲情するか、だれが勃起するか、だれがオナニーしたいと思うか。
 縄がよく似合うすばらしい被虐美、そして、まだまだ未知の素質を秘めた女体(私が実証済みである)に、こんなにも無気力な、愛情のない、だらしのない縄をかける無神経さ。(言ってしまおう。この縛り方は、女を縛ることがイヤでイヤでたまらない人間が掛ける縄の形である。写真に、はっきりと、そう写っている)
 一つだけ具体例をのべよう。この縄の掛け方は、背中にまわした女の手首が縛られていないことを、はっきりと示している縄の形である。背後の手首が縛られてなければ、女の全身に緊張感が生じないのは、当然のことである。これほどマニアをバカにした写真はない。
 こんな“縛り”に、カメラをかまえてもっともらしくシャッターを押す人間を、私はやはり軽蔑せずにはいられない。
 こんな写真を撮られたこの女が、かわいそうでかわいそうでたまらない。彼女の心のなかを思うと、私はまた涙が出そうになる。
 こういう写真を、恥ずかしげもなく堂々とマニアの前に出すことのできる人間を、私は限りなく軽蔑する。嫌悪する。
 わかりきっていることなので、いまさら言うこともないのだが、この際だからはっきりと言っておこう。
 女を縛ることが、イヤでイヤでたまらない人間の掛けた縄は、カメラマンがどんなにうまく撮ろうとも、この道の愛好家には、すぐわかるのだ。
 どんなに巧妙なテクニックを持ったカメラマンでも、縄を持つ人間が、イヤイヤ女体を縛っていては、マニアを感動させることのできる作品が生まれるはずはないのだ。
(ああ、しつこいなあ。年寄りの愚痴はしつこい。このしつこさは、もはや病的だな。こんな愚痴、いくら言っても無駄だということはわかっているのだが、ひどいものが目に触れれば、ついまた言ってしまう。こまったものだ。しかしまあ、これだけ書いたら、怒りもすこしおさまった。もうやめよう)

 ――と、ここまで一気に書いてきて、私は疲れ、ひと休みすることにした。
 そして、そばにいる落花さんに、ここまでのこの文章を読んでもらうことにした。
 そばにいる、と書いたが、ちょっと離れている。ここは落花さんのオフィスで、彼女は奥のほうの自分のデスクで仕事をしている。
 埼京線沿線の町の商店街の宣伝チラシのデザインをやっていて、どうやらいそぎの仕事らしい。
 私は入り口のドアを入ったところにある応接コーナーのテーブルを借りて、この原稿を書いているというわけである。
「おしゃべり芝居の原稿、途中まで書いて、くたびれた。ちょっとひと休み」
 と私は落花さんに声をかけた。
「私のほうは終わったわ。読ませてください」
 と、彼女は椅子に座ったまま顔をあげた。
「ああ、まだ途中だけど」
 といって私は書きかけの原稿をつかんで立ちあがり、彼女のデスクへ近づいた。
 きょうは日曜日なので、私と彼女の二人だけである。いつもは商業デザイナーとか、コピーライターなどの女性ばかりのスタッフが三、四人いて、結構にぎやかである。
 8階建てのビルの一室で、周囲にはほかに高い建物はなく、いい環境である。ときおり埼京線の電車がはしるごうごうという音がきこえる。埼京線とならんで新幹線も走っている。白いきれいな高架線である。
 窓のカーテンのすきまから外の景色を眺めると、埼京線と新幹線の電車が、先を争うようにして走っている。
 重い車輪がレールの上を回転して走るごうごうという音をきくと、私は妙に欲情する。
 なぜだろう?
 すこし考えて、わかった。
 落花さんを後ろ手高手小手に縛り、唇を吸っているとき、いつも埼京線か、新幹線か、どちらかの電車の音が私の耳にひびくのだ。そのせいで落花さんと二人だけでこの部屋のなかにいるときに電車の音がきこえると、私は条件反射のように欲情してしまうのだ。
「読ませてください」
 といって落花さんはデスクの上の自分の仕事を、手早くわきに片づけ、かわりに私の原稿をひろげた。そして、途中まで書いた私の文章を読んでくれた。
 顔をあげ、背筋と首筋をのばして私と向き合うと、
「疑問があります」
 と、つぶやいた。
「疑問?」
「濡木先生は、このモデルさんのことを、かわいそうだ、かわいそうだと言って、同情して、涙なんか流したりしているけど、それはまちがっていると思いますわ」
「へえ?」
「だってこの女の人は、モデルを職業としているのでしょう?」
「ああ」
「つまり、縛られて、写真に撮られて、その報酬として、お金をもらうんでしょう?」
「ああ」
「だったら、どんなに縛り方がへたでも、カメラを向けられたら、それらしい表情をして、スポンサーの狙いどおりのポーズをつくらなければいけないと思うわ」
「なるほど……」
「縛られることが本心から好きで、期待して現場へ行ったのに、期待どおりの縛りをやってくれず、股ばかり狙われる撮影だったのね。だから、がっかりして、気のぬけたようなポーズしかとらなかったというんだったら、それは一種の職場放棄ではないかしら」
「キビシイことを言うなあ」
 私はうなった。この種の写真は、そんな演技ではごまかせないリアリズムがたいせつなんだよ、と言おうとしたが、黙っていた。モデル嬢と落花さんとでは立場がちがう。
 せっかく縄好きのモデルを使いながら、その縄好きの反応のリアリズムを引き出せなかったのは、やはり、撮影者側の無理解、ホンモノの縄好きモデルとの接し方、扱い方のテクニックの拙劣さのせいであろう。
 ホンモノの縄好き人間でなければ、ホンモノの縄好きモデルの、ホンモノの魅力、エロティシズムは引き出せない。
 ホンモノの縄好き女性は、自分を縛ってくれる相手の、ホンモノ度への警戒心が強い。
「心のこもっていない、みせかけだけのへたな縛りをされても、お金がもらえる仕事だったら、できるかぎり心をこめて、縛られて陶酔する色っぽい表情やポーズをつくって、スポンサーの期待にこたえなければいけないと思うわ。そうでなければ、プロとはいえないと思うわ」
 お金のありがたみを力説する落花さんは、女性ばかりのデザイングループの経営責任者でもある。
「でもなあ、せっかく期待して出掛けていっても、ゆるゆるのぐるぐる巻きで、手首も縛ってもらえない撮影だったら、やる気をなくして、がっかりしても、それが顔や体に出てしまうのも、当然だとは思うけどなあ……」
 落花さんの意見にうなずきながらも、私はまだモデル嬢のほうに同情している。
「濡木先生だって、撮影の現場へ行ったとき、相手のモデルさんが気にくわない、嫌いなタイプだったとしても、縛るのに手抜きはしないでしょう?」
「ああ、マニア諸氏が見て納得するように、一応はきちんと縛ることは縛るけどね、でも、相手が縄の嫌いなモデルだったら、やはりもう一つ、縄に魂がこもらないかもしれないなあ」
 こんな会話をかわしているうちに、私は欲情してくる。落花さんを後ろ手に縛りあげたいという欲望が、むらむらと湧いてくる。
 私は彼女の細いしなやかな腕を背中にねじりあげ、力をこめてきりきり縛りあげたいという、ただその欲望のために、JR埼京線に乗って、この白いビルの8階までやってきたのだ。
 私の手には、彼女を縛るためだけの、特殊なこまかい柄の入った木綿の紐がにぎられている。彼女専用のこの紐は、腕と胸に食いこませるときの感触に、ソフトで強いしめつけ感があり、縛っていて気持ちいい。ソフトで強い、という表現は矛盾しているが、ほかにこの感覚を説明する言葉がない。強く縛っても、肌にそのあとが残りにくいという利点もある。
 縛り手である私の感触に格別の心地よさがあるというのは、縛られる女の側にも同様の快感があるということなのだ。
 私は会話をやめ、彼女の右隣にぴったり寄りそった。彼女の左手をつかみ、そのまま背中にねじりあげた。彼女は、
「あ、あ、いけません」
 と小声でいいながらも、体は抵抗しない。欲情した私の気配を敏感に察しながら、私の意志のままに左手をねじられている。
 それから私は彼女の右手首も背中にねじあげる。私がそれほど力をいれないのに、彼女の左右の手首は高々と背後の首筋近くまで上がって、高手小手の形になる。
 その細い左右の手首を、用意してある木綿の紐で一つに縛り合わせる。手首を縛らない緊縛なんて、私にはとうてい信じられない。
 手首を縛った紐を、左腕から胸へまわす。このときの二の腕に、縛られる側の快楽のツボがある。
 そのツボに紐をかけて圧迫し、キュッと引き絞る。このときの絞り方にもコツがある。
 この位に力をこめると、この位に気持ちいい、この程度に強く絞ると、やや痛いが、この程度に快楽が強まる、という計算が、彼女の反応をたしかめながら、私の手のなかにある。絞り上げて手首の位置を固定する。
 彼女を縛りながら、彼女が感じる快感と同じ程度の快感が、私にある。私に快感がなければ、彼女にも快感はないはずである。
 二の腕から乳房の上側にまわし、やや強くぎっちりと食いこませる。一本の紐で手首を縛り、腕から胸へまわして、きりりと締め、再び背後へもどして高手小手の手首の部分で留める。ここでこの一本の紐はきっちりと終わりになる。ちょうどいい長さなのである。
 日常の着衣のままで高手小手にきびしく縛りあげられた彼女は、デスクの上に胸をおしつけた形でうつぶせになり、この刺激を耐えている。あるいは、このここちよい圧迫感を味わっている。言葉はない。
 私もまた陶酔の気分で、縛りあげたばかりの彼女の痛々しい背中の手首を黙って見守っている。黙ってはいるが私は興奮し、勃起している。
 すこしたってから私は彼女の髪の毛をまとめて左手でわしづかみにし、顔をあおむかせる。 
 彼女は目をとじている。私は彼女の唇に自分の唇をおしつけて吸う。かなり長く、強く吸う。電車の通過する音がきこえる。ごうごうと、私の体がふるえる。高手小手に縛りあげた女の唇を吸いつづける。
 舌の先で女の唇をこじあけ、口のなかに舌をねじこむ。女の口膣内いっぱいに舌をさしこみ、かきまわすようにして舐めなぶり、存分に陵辱する。私の舌は女の口のなかでふくれあがる。
 彼女は抵抗しない。同調もしない。私の舌が動きまわり、舐めまわすままになっていて呼吸すらとまっているようだ。
 また電車の通る音。電車は上りか、下りか。新幹線の上りの終点は東京駅だろうが、埼京線の上りの終点はどこの駅になるのか。日曜日の午後の、だれもいないオフィスのなかでの欲情は、なんと静かで快楽的なことか。
 女の舌が動いた。わずかだが私の舌に自分の舌をからませようとする意志をみせてきた。私の舌は女の柔らかい口のなかでふくれあがったままだ。
 私は左手で女の高手小手の手首をつかみ、全身を引き寄せて抱きしめる。女の十本の指はもう冷たくなっている。
 この高手小手が、いま女にどれほどの快楽を与えているのか、私は実感としてはわからない。だが、観念感覚ではわかる。実感よりも快楽の度合いが、はっきりわかる。これがわからなければ女を縛ることはできない。
 なおも強く唇を吸い、舌で女の舌をこねくりまわした。左手で高手小手の十本の指をにぎりしめ、右手で乳房を服の上からつかんだ。すると彼女は全身の力をぬいて、ずるずると椅子から床の上にずり落ちはじめた。
 高手小手に縛られ、自由を失っている女の体は、重くなっていて支えきれない。椅子の上にもどすことはできない。完全に正体を失っている。ずるずると落ちる。
 床には絨毯が敷いてある。だから、全身を床に落としても、さほど痛いことはない。
 絨毯にはいつもていねいに掃除機がかけられている。彼女は清潔好きなのだ。
 しかし、週末を除いて、毎日四、五人の女性が、靴のままで歩きまわるオフィスのなかの絨毯の上だ。そのことが、どうしても私には多少気になる。
 絨毯の上にずり落ちてしまった彼女の体は重い。高手小手に縛られている。自分で自分の体を支えることができない。
 私がかかえて、再び椅子にすわらせるには、かなりの労力を必要とする。私にはその腕力がない。何度か試みるが、彼女の体は心を失い、ぐにゃぐにゃになりすぎていて、どうしても椅子の上にお尻がもどらない。半分失神している。
 どうして彼女は、縛ると、椅子から床の絨毯の上へくずれ落ちてしまうのだろう。そして全身を横にして、寝てしまうのだろう。
 なぜこんなに全身がぐにゃぐにゃになってしまうのか、正直、わからない。私の縄に、これほどの威力があろうとは、思えないのだ。私はそれほどのうぬぼれ屋ではない。
 日常的には、いつもキリッと姿勢を正し、男まさりに、グループの女性たちに、歯切れのいい口調で、テキパキと指示を与える落花さんなのである。
 私は過去に五千人の女体を縛ってきている。だが、私の縄にこれほどまで反応して、正体を失ってしまう相手と出会ったのは、はじめてなのだ。私にとって、まさしく「初体験」なのだ。
 私が落花さん専用のこの木綿の紐をゆるめ、高手小手の縛りを解くまで、彼女の失神状態はつづく。いつまでもつづくのだ。
 彼女の口から「解いてください」という言葉が出たことは、すでにもう三十数回(あるいはそれ以上)縛っているが、一度もない。
 私もまた、彼女のデザイン用の大きなデスクのかげで両膝をつき、彼女のそばに身を横たえる。彼女の首に左腕をまわし、また唇を吸う。口のなかに舌を入れる。
 わずかだが彼女も舌をうごかし、私の舌の侵入に応じる。舌と舌をからませ合う。だから、完全に失神しているわけではない。酪酊状態といおうか、陶酔状態といおうか。とにかく意識はある。
 私は彼女の胸に、紐は一本しか掛けていない。紐一本が一番美しいからだ。
 一本しか掛けていないために、ブラウスの裾をまくりあげ、ブラジャーをずり下げ、あるいはずり上げて乳房をつかむことが、容易にできる。
 彼女は抵抗しない。私は乳房をつかむ。
 休日のオフィス内で周囲は静かだが、スタッフの女性たちは、それぞれこの部屋のドアの鍵を持っているはずである。急用の場合はこの仕事部屋へやってくることもあるだろう。それを思うと、この状況のなかでのこの行為は、かなりスリリングである。
 だからこそ、快楽度が高いのか。白状すると、もう十数回、このオフィス内で彼女を縛っている。
 デスクのかげ(というより真下の空間)で高手小手に縛りあげた彼女を相手に、ラブホテルのベッドの上同様の行為をやるのだ。
 せまくて、固い(絨毯が敷いてあってもやっぱり固い)床の上で、二時間も三時間も、もつれ合ったままで過ごすのだ。
 私は彼女のスカートをまくりあげ、白い二本の太腿を露出させる。ラブホの室内の照明よりも、オフィスのなかの自然光は刺激的だ。カーテンの布地にさえぎられた日光の色はこのうえなく官能的だ。
 黒猫がうごめいているような黒いショーツ。私はそのショーツの上から唇をおしつけ、吸う。顔を伏せる。このときの私は、ああ、他人がみたら、なんという破廉恥な姿だと思うだろう。私はパンツをぬぎすて、下半身を露出させているのだ。

つづく

以下「みか鈴」さんからお寄せいただいたご感想を、ご本人の承諾を得て転載させていただきます。このご感想は「おしゃべり芝居 第十九回」の中で、一部抜粋して引用させていただきました。

みか鈴さんからのcomment
>こんな会話をかわしているうちに、私は欲情してくる。落花さんを後ろ手に縛りあげ
>たいという欲望が、むらむらと湧いてくる。

この下りを読んで、美香は「昼下がりの情事」のラストシーンを思いだしてしまいましたわ。
「あなたなんて、なんでもないわ」って言って別れの悲しみを精一杯の強がりを涙顔で いうオードリヘップバーン・・・・・去って行く列車を見送る彼女にゲーリークーパー
彼女の為に別れるつもりだったのに、愛おしさのあまり彼女を列車にさらって行くっていうシーンを思いだしたのです。
落花さんが強がりをいってる訳ではないのでしょうが、先生の気持ちはその時のゲーリークーパーの気分に似てるように思うのです。

>彼女は、 「あ、あ、いけません」 と小声でいいながらも、体は抵抗しない。
SMです。この展開は恋愛ではなくSMですぅ。
今までの強い落花さんが、弱々しい女に落ちる瞬間なのですわね・・・もしかしたらこの瞬間が一番楽しいのかもしれませんわね。
少なくとも美香がSをやってる時に感じるポイントはこの部分ですわね。

>日常的には、いつもキリッと姿勢を正し、男まさりに、グループの女性たちに、歯切
>れのいい口調で、テキパキと指示を与える落花さんなのである。
そんな落花さんが縄で縛られると
>なぜこんなに全身がぐにゃぐにゃになってしまうのか、正直、わからない。
程になってるっていう落差・・・SMの楽しさは落差でしょうね。
美香は、ハードな吊りや蝋燭、鞭等の凄いプレイの自慢報告より落花さんのこんな落差 のある反応の方が数倍感じますわね。

この感覚は余り判って貰えない事が多いのです。
つまるところ美香も先生と同様の少数派の変態なのですわ。

 ★みか鈴さん、ありがとうございました。
 第十九回の本文中にて濡木痴夢男がお返事差し上げております。

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