2007.11.04
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第十八回

 モデルはマニアではないのか


 おどろいた。
 落花さんが私に後ろ手高手小手に縛りあげられると、とたんに半分意識を失ってしまうということは、わかっていた。
 はじめのうちは、わからなかった。
 落花さんは私に対して、そういう演技をしているのかと思っていた。
 なにしろ、頭のいい女性です。羞恥心をたくさんもつ、感受性ゆたかな女性である。羞恥することは自分の弱みをみせることにつながる。自分の弱みを知る人は、自己分析のできる、頭のいい人にきまっている。
 自分が見せるその羞恥心をかくすために、あるいは、まぎらわすために、半分失神したふりをするのかと思っていた。ところが、ちがうのだ。ちがっていたから、おどろいたのだ。
 彼女と電話でしゃべっている最中に、そのことがわかった。
 私と彼女とは、よく電話でしゃべる。私のほうからは、電話をかけることはめったにない。
 彼女は時間で律された一定の仕事を持っているので、うっかり電話をすると迷惑をかける場合がある。
 私のほうは時間的に制約のない原稿書きという仕事である。いわゆる自由業である。仕事をしているときに、おしゃべりで一時間つぶしても、あとで一時間よけいに原稿を書けばいいのだ。
 ただし、彼女が、夜、電話をしてくるときは、一時間では終わらない。二時間から三時間、休みなしにしゃべりつづける。
 夜十時ごろ電話をかけてきて、気がついたら東の空が白々と明けてきたことがある。つまり、ひと晩じゅう、お互いにしゃべり合っていたのだ。
 私のベッドは、窓際に密着している。朝、ガラス窓をあけると、ベッドの上いっぱいに日光があたる。
 話の内容は、いつも「SM」に関してである。「SM」心理の話以外はしない。
 つまり、彼女は数時間にわたって、私と同等の「SM」世界の話を深く、つきつめて、語ることのできる人なのだ。
 ちなみに私は「SM」についての理解と知識の浅い人とは、ぜったいに「SM」の話をしない。自分がみじめになるだけだからである。
 とはいうものの、私にしてもそれほど深く「SM学」にくわしいわけではない。しかし長い間この世界にどっぷり浸かってきたせいで、経験による具体例だけはたくさん知っている。落花さんの鋭い質問に対して、だから、かろうじて応じることができる。
 それにしても落花さんの理路整然として、ときに哲学的な質問をうけると、浅学な私はおろおろして言葉に窮する。そこで、
 「非合理にみえても、マニアにとっては、そこぬきさしならない合理性があるんだ。その非合理性と合理とのわずかな合い間に生じる神秘の快楽。ふつうの人間にはわからないその快楽感覚がおもしろくて、私はこの世界から離れられないのだよ」
 などと自分でもよくわからないことを口走って、彼女の鋭い質問をかわす。
 こんなふうにごまかすことも楽しい。性的快楽がある。

 なんということだ。また話が横道にそれてしまった。もとへもどそう。
 彼女からの電話でわかったこと、という話にもどす。
 私が縛ったとたんに、彼女が半分失神状態になるのは、私は、まあ、演技もあると思っていた。そういう演技をする女性が、過去に何人かいた。
 ところが、おどろいたことに、落花さんは本当に、ほとんど気を失ってしまうというのだ。
 これは、彼女にとって恥ずかしいことであり、だから互いに顔の見えない電話でのおしゃべりのときに、彼女は私に「告白」したのだ。
 じつは私も、彼女の「半分失神」は演技なんかではなく、本当かもしれないと思っていた。
 彼女が経営責任者であるこの女ばかりのオフィスの中で、つまり、かなりスリリングな状況で「緊縛遊戯」をするようになってから、私にもいくつか感じることがあった。
 (あ、これは本当に深い酔いの中に入っているぞ)
 と、感じながらいつも激しい抱擁をくり返している。
 もともと彼女は、その種の性的な演技などできる性格ではなく、その意味ではきわめて「純粋」な人間である。
 電話のなかのつぎのような会話で、彼女の「失神」が本当だったことがわかり、私は正直、おどろいたのである。
 「あの……先生が『おしゃべり芝居』の第十七回に書かれた中にある、私が椅子からずり落ちるという話、あれは本当なんですか?創作ではないのですか?」
 と、恥ずかしそうな声で彼女はきく。
 私の書いているこの「おしゃべり芝居」を落花さんも読んでいる。当然のことながら、一番熱心な読者かもしれない。
 「私が椅子からずり落ちてしまうから、先生が一生けんめい私の体を抱いて、もとにもどそうとするのだけれど、またずり落ちて床に寝てしまうというのは、本当なんですか?」
 べつにとぼけたり、ふざけたりしているのではなく、彼女はまじめに、恥ずかしそうな低い声できくのだ。
 「エッ、エッ?おい、おい、創作じゃないよ。あれは、あのままだよ。本当のことだよ。エッ、エッ?それじゃあなたは、自分が椅子からずり落ちるとき、はっきりした意識はないの?あのときは本当にもう失神しているの?」
 私はびっくりしてきく。
 たしかに、ぐにゃぐにゃになっている彼女の体を抱く私の頭のなかに、これはもしかしたら、本当に失神しているのかな、という思いが走る。
 でも、まさか、という思いもある。
 なにしろ、紐一本だけの高手小手縛りである。それだけの行為で、これほど強い快感を彼女に与えられるとは思えない。
 正体を失って無抵抗のまま椅子から落ちたら、下は床である。やや上等な絨毯が敷いてあり、女ばかりのオフィスらしく、毎日の掃除はていねいにしているとみえ、不潔感はない。
 汚れてはいないが、休日を除いては何人もの人間が靴をはいたまま歩きまわる床である。ラブホのベッドのなかとはちがう。男と女が、体を横たえて寄り添う場所ではない。
 だが、もうなりゆきである。
 私も絨毯の上にねそべり、彼女を抱く。
 じつをいうと、こういうスリルは、私も嫌いではない。好きである。ふつうのことを、ふつうにやるより、ふつうではないことを、ふつうではない状況のもとでやるほうが私は好きであり、興奮する。
 ふつうのことを、ふつうにやっていては、小説にならない。ドラマにならない。ふつうでないことを、ふつうではない設定のもとにやらないと「お芝居」は成立しない。
 ふつうではないことを、ふつうではない状況のもとで展開させると、人間らしい人間の姿が、明確に浮かびあがってくる。
 そこは、彼女専用の大きなデスクのかげになっている。だれかがドアをあけて入ってきても、まず、ついたてと応接セットがあって室内は見渡せない。
 ついたてをまわってオフィスのなかへ入ってくると、パソコンの置いてあるデスクが四つ、一番奥の落花さんの居場所は高い書類棚のかげになっている。
 ドアの鍵をあけて、だれかが入ってきて、ここへ到達するまでに、私は落花さんを高手小手に縛りあげた紐を解き、(30秒もあれば解ける)トランクスをはき、ズボンをはき、乱れた衣服を整えることができる。
 私のほうは手早くもとどおりになれるが、落花さんのほうは、かんたんにいかないような気がする。快楽の酔いが深いので、さめるまでに、いつも時間がかかる。髪の毛の乱れ、衣服の乱れも尋常ではない。
 ふつうの情事だったら、女はスカートをまくりあげ、ショーツを下ろして、露出した男の股間にまたがれば快楽を成就することができる。よくコントなどで見る社長と女秘書とのオフィス内での情事は、たいていそんな形である。
 そこへいくと、「縛り」を混えた快楽遊戯は、いつの場合でも、スリリングである。
 スリリングであるがゆえに、聡明にして怜悧な落花さんを失神させるほどの快楽を与えるのだろう。
 そうなのだ。このオフィスのなかで、私がいきなり(本当は、いきなり、ではない。私はチャンスをねらっているのだ。ある瞬間、ある気合いのもとに私は彼女の手首をつかむのだ。そして彼女は、あっという間に、その気合いにのみこまれるのだ)彼女の左手を背中にねじあげ、つぎに右手をねじりあげて、手首を一つにしてつかんだときに、彼女は早くも陶酔状態に入っているのだ。
 彼女の失神は、私が彼女の手首を背後にねじりあげたときから始まっているのだ。

 ところで今回私は、何を書こうとしていたのか。なんだか堂々めぐりをしている。同じことを書いている。私はいま、頭が疲れている。思考が混乱している。
 きのうは、まったくおもしろくない撮影に一日中つきあわされ、体が疲れている。肉体が疲労すると、心も疲れる。
 顔も体も美しく可愛らしいモデル女性と、朝から晩まで、演出者の命じるままに縛りまくった。私は縛る機械であった。緊縛マシーンでしかなかった。黙々と縛った。黙って縛ることだけが私の仕事だった。
 縛っては解き、縛っては解いた。私は演出者の命令に、忠実に従った。
 若い女性をハダカにして縄で縛り、過激なアクロバットをさせれば、それが最良の「SM」だと信じている演出者だった。
 モデルの手足を極端に折り曲げて股間をひろげ、縄で固定する。縛られる側のモデルの意志も感情もない。女は物質のようだった。(ああ、この種の現場における私の演出法は、縛られる女の意志と感情、反応に重点をおき、そのことだけに神経を払う。女が自らの肉体から発散させる情感、情緒こそが、縄によるエロティシズムだと私は信じている。というより、私はそれしかない)
 きょうの撮影に、私は「SM」的エロティシズムをまったく感じなかった。だから時間の経過はいたずらに長く、私は疲労した。
 不自然で過酷な屈曲ポーズに耐えるモデル嬢の忍耐力だけに感嘆した。しかしそれは、中国雑技団の曲芸を感嘆するのと同じ意味である。だから、また疲れた。
 私の縄はいつもの生命力を持たず、単なる物質の縄に終始した。
 サーカス芸的ポーズの連続は、縄の持つ情緒を奪っていた。縄にも意志のあることを、私は改めて認識した。無残に折りまげられた女体は、一見「SM」的にみえるが、「SM」のもつ淫靡で妖しい魅惑はなかった。
 若い女が恥ずかしげもなくひろげた性器や肛門も、奇異な眺めとしか感じられなかった。どのように誇張して性器や肛門を露出し、見せびらかしたところで、彼女自身に羞恥心がなければ、それは単なる肉の凸凹にすぎない。
 カメラマンや、編集者や、演出者や、その他のスタッフの見ている前で縛られ、それを公表されることを了承する女の人は、すべて「モデル」という名称のついた女だと落花さんはいう。
 縛られることが本当に好きで、そのことだけにしか快楽を感じない、真実のマニア女性は、他人の前では、自分が縛られている姿をぜったいに見せない、と落花さんはいう。
 縛られることは、恥ずかしいことだからである。恥ずかしいことは、他人に見せてはならない。ぜったいに秘密にしておくべきである。その秘密を守る女こそ、真実のマニアだと落花さんはいう。
 縛られた自分の恥ずかしい姿を、他人の前に平気でさらすような女は、SMモデルではあっても、マニアではない、と落花さんはいう。
 しかし、と私は反論する。
 濡木痴夢男に縛られたくて、かつて「緊美研」の例会をたずね、一度しかモデルをやらなかったマニア女性たちも、あれはマニアと呼ばずに、モデルと呼ぶのかね、と。
 この反論に、彼女はなんと答えたか……。忘れている。思い出せない。
 私はやっぱり、いま、頭が疲れている。文章が支離滅裂になっている。
 椅子から床の絨毯の上にずり落ちて、そのまま横たわり、海老のように体を折りまげている彼女の、高手小手の紐に酔い痴れた姿は、被虐エロティシズムそのものである。
 私もまた体を横たえ、彼女の首をかかえて抱き寄せ、唇を吸いまくる。
 ブラウスをはだけ、ブラジャーをずり上げ、あるいはずり下げ、乳房をつかみだす。乳首を吸いまくる。歯で噛む。左右の乳首を交互に噛む。なめる。吸う。また噛む。
 そのたびに、ぴくん、ぴくんと体をけいれんさせ、声をもらす。だから、完全に失神しているわけではない。やはり半分失神の状態である。
 のけぞらせて悶える彼女の姿体のエロティシズムに、私もまた酔う。あるいは私も半分気を失っているのかもしれない。夢の中にいるような気分だ。
 パンストをずり下げ、ショーツを下ろす。彼女の太腿のあいだに、私は右手をのばす。左右の太腿をかたく閉じて、私の右手の侵入をこばむ。内腿の感触の柔らかさ。
 私の指は、むりやり、太腿の合わせめの肉をこじあけ、ひたむきに突きすすむ。私の指先の動きにつれて、彼女は羞恥の低いうめき声をあげながら抵抗する。太腿の肉が私の手を強くはさむ。そのここちよい感触。
 半分気絶している彼女の太腿の抵抗は、強くも弱くもなく、私の欲情をさらに刺激する。私は太腿の合わせめに顔をうずめる。私の股間は彼女の顔の上にある。
 休日の静かなオフィスのなか。デスクのかげに隠れての、だれも知らない秘密の緊縛遊戯である。
 そろそろ夕方になっているはずだが、窓の外はまだ明かるい。このビルの外を、いまごうごうと音をたてて通過しているのは、埼京線か新幹線か。
 露出させた彼女の尻は、丸く白く妖しいエロティシズムに光っている。その尻を両手で抱いて私はじりつく。舌をのばし、探ぐる。
 だれもいないオフィスのなかのデスクのかげで、私の欲望は延々とつづき、彼女のエロティシズムの炎は燃えつきるということを知らない。
 彼女は、私が彼女の体から離れるまで「やめて」とは言わない。二時間でも三時間でも、ときには四時間も、私は彼女の体をなめつづける。

つづく

以下「みか鈴」さんからお寄せいただいたご感想を、ご本人の承諾を得て転載させていただきます。このご感想は「おしゃべり芝居 第二十回」の中で、一部抜粋して引用させていただきました。

みか鈴さんからのcomment
> 縛られた自分の恥ずかしい姿を、他人の前に平気でさらすような女は、
>SMモデルではあっても、マニアではない、と落花さんはいう。
 落花さんは今、濡木痴夢男という当代一とも云える縄の使い手とパートナーを組んでおられますので、先生とお二人の世界を満喫出来るかもしれませんが、そんなパートナーがいない場合や自分のパートナーが雑誌に載るのを強く望んだ場合等はどうなのでしょうか?
または露出願望があるMは・・・・と考えると美香には恥ずかしい姿を、他人の前に平気でさらすの有無がマニヤとマニヤではない者を分ける手だてには為らないと思います。
勿論、落花さんの仰る事も判りますがその線引きでマニヤを分けると、元々、少数派であるマニヤの世界がより狭い方向に行ってしまう気がするのです。

 女装でも肉体改造から下着女装まで幅があります。
ある女装者が、ホルモンを入れて造膣手術した時「私は女装などという中途半端な人種とは違うものになった」といいました。美香は「貴方、そんな論理でいるとお友達が居なくなるわよ、世間から見ると貴方も貴方の嫌いな女装も同じだわ」美香に言わせると目糞、耳糞を笑うという感じだわと言って上げました。
脱線しましたが、裸に為っても女に見えるような改造を施しても、その気分の判るのは世間ではなく普通の女装だったりするのです。
ですから少しの違いで細分化して行きますとこの世界を語れる相手は自分一人になってしまます。
先生の文章から落花さんを見ていますので、本当とは見当違いな感じ方をしているのかも知れませんけれど、お許し下さいませ、美香もマニヤですの。
濡木先生のおっしゃるように小さな事にも拘るのです。
ですから「恥ずかしい姿を、他人の前に平気でさらすような女は、SMモデルではあってもマニアではない」という言い方には反発を覚えます。
「恥ずかしい姿を、他人の前に平気でさらすような女は、マニヤの精神を持ってない人が、多い」というのなら「そうかも」って思いますが、マニヤではないと線引きされると、なんとはなしに違和感を覚えるのです。

文章に書いてある文字や言葉は抽象化された概念ですからホントは同じ目線であっても抽象化されたものをどう見るのかに依って180度違う話になることがありますので、余り個人の批判のような事は書きたくはないのですが懐の深い先生の事、そして先生が語られる素晴らしい感性をお持ちの落花さんですので、多分美香がこんな事を書いても判って頂けると思っていますから、敢えて批判めいたコメントを書かせて頂きました。
もし美香が大きな勘違いから、見当違いな批判をしていたとしたら、ごめんなさいね。
お馬鹿なマニヤの戯言とお考えの上、一笑に伏して頂ければ幸いです。

 ★みか鈴さん、ありがとうございました。
 第二十回の本文中にて濡木痴夢男がお返事差し上げております。

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