濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百七十九回
最高のほめ言葉
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まー、なんと申しましょうか、前回「水責めの話あれこれ」を書いたあと、ガタガタ、バタバタ、妙なシゴトばかりがつづいて、せっかくの「水責め」を、まだやっていない。
台本はとっくにできているのに「水の感触」の撮影にとりかかる時間がないのであります。
困ったことに「ともしび」の同人たち全員それぞれが、それぞれの仕事で多忙な状態に突入し、一堂に集まって撮影する余裕がなくなってしまったのです。
前回の「おしゃべり芝居」では、すぐにでも撮影にとりかかる勢いだったのが、じつは、まだ、なァんにも始まっていない。
いまのところ、その気配もない。
こんなみっともない状態になることは、はじめから大体予想はついていたので、いまさら弁解もできない。
イヤミっぽくきこえると困るのだが、「ともしび」の仲間たちは、それぞれが有能な(私を除いて)個性の持主であり、それぞれの仕事の場に責任をもち、ふつうの人より労働量が多い。
(まあ、有能な人だから、どうしても多忙になってヒマがない。有能でない人は、忙しくない。忙しくなくてヒマのある人は、「ともしび」にはあまり欲しくない、という結果になる)
「夕日の部屋」「木賊(とくさ)の庭」と順調に撮影を終え、三部作の終わりの「水の感触」にとりかかろうとして、頓挫してしまった。
売るための写真集発刊をめざしていたわけではなく、なんども書くようだが、私たち自身が納得のいくものを作りたい、作ろうと決心して集まったグループ「ともしび」なので、しめきり日なんてものは、はじめからない。
顔を見せ合うだけでも楽しい、といった仲間たちが、自由な気分ではじめた撮影である。
しかし、いくら忙しいからといって、せっかくやりかけたものを、途中で立ち消えにさせてしまうのも、どうかと思う。
「ともしび」がいつのまにか消えてしまっては、サマにならない。
この「おしゃべり芝居」に、台本までこまかくのせて、撮影の進行状況を発表してきた以上、この文章を読んでくださっている方々に対し、多少なりとも責任がある。
なので、すこしばかり、弁解させていただく。
皮肉なことに、「ともしび」の同人たち、つまり、山之内幸、早乙女宏美、中原るつ、それに私の四人は、「ともしび」の撮影以外の場所では、よく顔を合わせるのである。
顔を合わせると、よくしゃべったりするのだが、そういう場所は「ともしび」の撮影とは無縁であり、SMの仕事とは関係のない人たちが同席している。
そういうときには、そういう場所でのたいせつなテーマがあって、一生けんめい話し合ったり、なにか動いたりしている。
顔を合わせていても「ともしび」のつぎの撮影の打ち合わせなんて、とてもできない。
私たちがこっそりやっている「緊縛写真集」撮影の話なんて、SMに無縁の人たちが同席していたら、やっぱりやりにくい。
というより、ぜったいに、したくない。
ま、そういう次第なのであります。
四人が四人とも忙しいというのは、口さきだけでなく、本当に忙しいのです。
けっして、いそがしぶっているわけではないのです。
その多忙な日常の中に、ここに記録しておきたいものもあります。
(たとえば、先日、銀座6丁目の画廊で「鏡堂みやび秘画展――蜘蛛と雌蘂――」という展覧会があり、そのイベントに「昭和的心の美学」という、とんでもないタイトルのトークショーがあり、そこに私は早乙女宏美と出演していたのです)
こういうときなんかも、「ともしび」の同人たちは、それぞれの関連で顔を合わせるのですが、私たちだけの撮影の話は、どうもできない。
「ともしび」撮影の話を、毎回「おしゃべり芝居」の中で熱っぽく書いている途中で、いきなり銀座の画廊でのイベントを挿入する気にもなれない。
じつはあしたも、同人四人が、ある場所で顔を合わせるのです。
ただし、四人の他に同席者が十数人いて、その人たちも、べつの一つのテーマを勉強している仲間なのです(ただしSMとは無関係の人ばかり)。
ですから、「ともしび」の四人だけが、一カ所にかたまって、ひそひそ、なにやら怪しげな撮影の話をするなんてことは、とてもできない。
以前、そういう会合が終わったあとで、某レストランの片隅に四人だけがこっそり頭を寄せて打ち合わせをしていたとき、さっきまでの集まりの一人が強引に同席してきて、
「おもしろそうな話じゃないですか。きかせてよ」
と、ずうずうしく言うのです。
「私たちの仕事の打ち合わせですから」
と、いくら言っても、
「邪魔をしないで黙ってきいているから」
好奇心むきだしの顔で、動こうとしないのです。卑しい、下品な顔!
そんな人の前で、「緊縛写真撮影」の具体的な話なんかできるはずはありません。
あのときは、弱りました。
結局、私は腹を立てました。
あしたはまた四人が、SMに無関係の会で顔を合わせるのですが、それが終わって夜になると、私だけが、またべつの集まりにいかなければならないのです。
(これがまたSMとは無縁の集まりですが、私としては参加しなければならない責任があります)
ですから、せっかくあした、四人が顔をそろえても、「水の感触」(ああ、われながらいいタイトルだなあ!)の撮影日は、まだ決定できないのです。
ま、こういうわけです。
「無理して四人がなんとか時間をあけて話し合わないと、いつまでたっても写真集ができないわ!」
と、中原るつ資料館館長。
「でも、なるべく無理しないで、余裕たっぷりの気持ちでやろうよ。べつに、しめきりがあるわけじゃないんだから。じっくりと、いい写真を撮ろうよ」
と、私。
先日、風俗資料館で「臼井静洋・禁断の秘画幻灯会」という催し物がありました。
企画・主催・スライド映写・総合司会・中原るつ氏で、この日も大奮闘。
たいへんな盛況の会になりました。
この夜、参加してくださった旧知の画家、エル・ボンデージ氏に、「ともしび」で撮った写真数枚を、終会後にこっそりお見せしたところ、
「うわあ、これはワイセツだ、なんというワイセツな写真なんだ、これこそワイセツだ、このサルグツワ、凄い!」
写真を凝視し、エル・ボンデージ氏、重いうめき声を発しました。
お断りしておきますが、それは早乙女宏美が、きちんと服を着たままで、手拭いでサルグツワをされ、後ろ手に縛られている写真です。
くり返しますが、服はきちんと着たままです。両足もしっかり閉じられております。
「本当にワイセツですか?」
と、私はボンデージ氏にききました。
「ワイセツです」
と、さらに感動をおさえたような低い声でボンデージ氏。
世間でいうワイセツと、私たちが感じるワイセツとは、これほどちがうのでした。
ボンデージ氏がお帰りになったあと、私はまだ会場に残っていた山之内幸カメラマンに、
「エル・ボンデージさんがね、この写真をワイセツだといって感動していたよ。あの人はおせじやウソを言えない人だからね。よかったね。おれたちにとって、最高のほめ言葉を言ってくれたね」
と言いました。
山之内幸氏は、いつも静かに、おちついている人なので、
「ヘエ、そうですか」
と、小さな声でうなずくだけでした。
私のような軽薄な人間とちがって、彼女はうれしがってバタバタ騒がない。
だが、このとき、山之内氏の瞳がうるんでいたのを、私ははっきりと見ました。
(つづく)
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